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相模における最古の神社

   「あるか神社」とか「ありか神社」と呼ばれていおり、境内の「有賀の森」記述を発見しました。
    全国諏訪神社一覧神奈川には記載されていませんが、末社諏訪として建御名方を祀ってあります。@.@

相模最古の神社です この神社は、AD664年神事(創立)との記述も見つけました奥宮もあるようです。
尚、四つの地元資料では、アリカとアルカと二つの読みですが
九州小倉では、有賀姓をアルカと読むようなので古語ではアルカではないかと思います。
諏訪上社、乙頴は用明の2年(AD587)諏訪湖南の山麓に社(上社)を構えた。下社本殿は220年も後です
法隆寺は推古15年(AD607)建立なので、この史実から見てこの2社は本当に古いですね。
私の推論
アルカ族が進出し稲作の郷を作りその森に現在は末社扱いになっている 建御名方社を作ったのでしょう、アルカ郷にあったのでアルカ社から
有鹿神社とされたと思います。それにしても鹿の文字は生贄や鹿食免を彷彿とさせます、まさに「鹿肉を捧げる」ですね。

座間 鈴鹿明神社 の説話縁起によると、このアルカ神は鈴鹿神(伊勢の国鈴鹿から移った先住神)と応援の諏訪明神と弁天様によって
現在の場所に追いやられた記述があります。なのに何故諏訪社を置いたのでしょうか?また、この伊勢から移った鈴鹿神と
伊勢津彦伝説がオーバーラップしてきませんか。
伊勢津彦が天孫族に敗れ伊勢の地を離れ証として「私は今夜、八風を起こして海の水を吹き、波浪に乗って東の方に行くでしょう」と言っており八風は伊勢にある峠の名前として残っていますので。鈴鹿神=伊勢津彦と思われませんか? 尚ここを拠点として更に信濃入りしたのでしょう。(長野 風間神社の祭神)
祭神 鈴鹿明神社と座間神社より現在このサイトは有りませんGoogle保存キャッシュあり
現在伊勢に鈴鹿明神という名の神社はなく、これには鈴鹿峠(関町坂下)にある式内社片山社をあげるべきだろうが(むかし鈴鹿明神、鈴鹿大権現といわれた)、祭神は鈴鹿姫、または倭姫命であってともに女神である。(よって鈴鹿峠は伊勢津彦の関連ではない。)
歴史こばなし279[天白信仰] 伊勢八風峠に伊勢津彦をまつると有ります。

[有鹿神社] :ありか、在鹿神社。
住所:海老名市上郷2791。
祭神:大日霊貴命(おおひるめむち)。
本殿:平入神明三棟一宇、南向。
千木:内削ぎ(5)。 神紋:巴。
場所:小田急・JR厚木原駅北北西,600m。pk少。
由緒,伝承:「式内社」
相模最古の神社である。遥か遠い昔、相模湾の海底隆起により有鹿郷を中心とする台地が出現し、 やがてそこに人々の農耕生活が始まったその豊穣と安全を祈り水引祭が起こり有鹿神社は創建されるに到った。
奈良から平安初期まで海老名耕地という大耕地を背景として海老名に国府があり有鹿神社は官社であった。 天智38,3年(664)初めて神事を行い、又,平安の延長5(927)延喜式の制定により相模国の13社に列せられた。
(境内由緒)
境内、有賀の森は「松なしの森」とも言われる。境内奥は相模川土手になり、上流の北と南西の流れが見える。
末社:日枝(大己貴)、諏訪(建御名方)、稲荷(倉稲魂)
境内社:有鹿天神社(鎌倉時代の武将・海老名源八氏の旧館跡にあった天神社を移設)。
例祭(7/14)

有鹿谷聖地

有鹿(ありか)神社は、相模最古の神社です。相模湾の海底隆起により有鹿郷を中心とする台地があらわれ、やがて そこに人々の農耕生活が始まった。その豊穣と安全んを祈り、水引祭が起こり、有鹿神社が創建されました。
相模川に沿って北方5キロ程に有鹿神社の奥宮・磯部の有鹿谷聖地があります。有鹿神社と奥宮の有鹿谷の湧水を往復す る神事がいまでも行われているとのことです。

●海老名  もと相模国国分寺があった。有鹿神社の神領で平安末期に村上源氏の一族・海老名氏が領有したことからこの名が付く。

有鹿神社 奈良時代創建の古社(神奈川県・海老名) [96-10-03]

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