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黒曜石

いにしえの島根/島根古代文化センター、古田武彦の随筆、長門町の遺跡 三部作に編集しましたA.Ajiji

    (いにしえの島根/島根古代文化センターより)
山から採掘されたときは表面が風化して、ざらざらした灰色や灰黒色
をしているものが多いが、割るとこのように黒く輝く表面が現れる。
今から1万年以上前の旧石器時代から2300年前の縄文時代まで、
物を削ったりする道具のほとんどは石を使用していた。特に黒曜石
は刃物、鏃等によく使われていた。しかし利用の割に原産地が限ら
れるため貴重なものであった。
出雲では隠岐で採掘されたものを利用していた。現在の科学は黒曜石
の原産地を解明するところまで進歩した。それによると隠岐原産の
黒曜石は中国地方だけに止まらず朝鮮、さらにはウラジオストク、
ナホトカ周辺まで運ばれて使用されていたことが判明している。

隠岐の国土、人口を考えれば、かって朝鮮やロシアまで航海する国力を持っていたとは到底 考えられない。とすれば隠岐に一番近い出雲がその任を負っていた可能性も考えられる。 この事は出雲王国の存在といわないまでも、出雲にこの黒曜石を移動させるほどの人口と技術 が存在したということを微かに匂わせている。

閑中月記 第二十二回 ウラジオストック (2003.1.7) 古田武彦 原典サイトへ
石鏃について
日本においては、弓矢は、縄文時代 (Ca. 10000/8000 - 300/200.BC) の草創期に発明されたものと考えられています。 最初のタイプの石鏃は、柄のない石鏃(無茎鏃 - むけいぞく)でした。柄のある石鏃(有茎鏃 - ゆうけいぞく)は、 縄文時代の早期に北海道南部もしくは東北地方北部で発明されました。 このタイプの石鏃(有茎鏃)は、しだいに南下し、 東日本においては主流となりました。しかし、有茎鏃は、西日本においては、縄文時代の晩期になっても使用されず、 依然として無茎鏃のみが使われていました。
偶然と必然の神は姉妹である。いわゆる異卵性双生児のように表裏している。 わたしが、こんな??とてつもない?念にとりつかれたのは、昨年来の研究経験からだった。 ことは十九年前(一九八四年)にさかのぼる。御存知、「国引き神話」。出雲風土記だ。
一に、志羅紀の三崎。韓国の慶州近辺である。
二に、北門の佐伎の国。北朝鮮のムスタン岬。
三に、北門の良波の国。ロシアのウラジオストックである。
四に、高志の都都の三崎。能登半島だ。
 従来は、二を大社町鷺浦、三を八束郡島根村農波(原文改定)のように考えてきた(いずれも、岩波)。 しかし、出雲の一部を「引き寄せ」て、大出雲が出来上がるはずはない。蛸の足喰いだ。  わたしはこれを「否」とした。対岸の沿海州にこれを求めたのである。縄文における「出雲〜ウラジオストック」 間の交流。その焦点は、もちろん黒曜石だ。
一九八七年七月、黒曜石、鏃を求めてわたしはウラジオストックに渡り、その翌年五月、その答を得た (十日。早稲田大学実験室講演。ノヴォシビスクのワシリエフスキー氏)。
 それはズバリ、氏の持参された七十数個の黒曜石の鏃(ウラジオストック周辺、約100キロの五十数個の遺跡出土) の約五十パーセントが当の出雲の隠岐島の黒曜石だった。(四十パーセントが津軽海峡圏。函館の北の赤井川産。十パーセントは不明。) わたしの立場、わたしの論理による、この縄文神話の仮説はやはり正しかった。正確に立証されたのであった。
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3-6 中部地方中央部・北半部  古代縄文期の黒曜石(石鏃)の移動

 現在8カ所近くの黒曜石原産地が知られが、長野県の麦草峠、霧ケ峰、男女倉、和田峠が著名である。
地元の黒曜石研究者の中村龍雄は、それらを豊富な写真でまとめているのでその全容が良く 理解される
(中村 1977『黒曜石上巻』, 中村 1978『黒曜石上巻』, 中村 1978『黒曜石続巻』, 中村 1983『星ケ塔』自費出版)。

 一般的に信州系と呼ばれているこれら黒曜石の様相は、透明なものから黒色、灰色、そして珍しい 褐色のものなど種類が多い。北海道の十勝三股や白滝産に特徴的に存在する褐色の黒曜石について 、立教大学の輿水達司らは山梨県の縄文時代遺跡出土の褐色黒曜石石器をフィッション・トラック法で分析し 、霧ケ峰や和田峠産と同じ噴出年代を示し産地が同じ場所にあることを確かめている
(輿水・戸村健児・河西 学「本州中央部より出土の褐色黒曜石の原産地」考古学ジャーナル379, 1994)。

最近八ヶ岳山麓にも原産地が確認され出した。 この地方の黒曜石は鳥居龍蔵、八幡一郎などにより、 日本考古学史の初期の頃から話題にされており、各種論考も膨大な量に上っている (鳥居 1924、八幡 1924, 1928, 1979)。
 この地域の黒曜石の理化学的分析は、鈴木正男が最初である(Suzuki 1969, 1970 ほか)。 その後、分析学者の全てがこの地域の黒曜石を分析していることが知れる。
 また考古学者による多くの論考が行われている。和田峠産は母岩は小さいが、無色透明で良質黒曜石 が多産し、この原石は縄文時代にかなり広範囲に運ばれて「石鏃」として使用されている。
斉藤幸恵によると信州系の黒曜石は、縄文時代を通して半径150Kmの範囲に原石の供給が認められるという (斉藤「黒曜石の利用と流通」季刊考古学12, 1980)。

黒曜石の貯蔵例もこの地域 の縄文遺跡から確認されている。長崎元廣は諏訪盆地、八ヶ岳西麓・南麓、松本盆地で確認された 22遺跡36カ所の貯蔵遺構を検証した(長崎「縄文の黒耀石貯蔵例と交易」『中部高地の考古学III』1984)。
 長崎は黒曜石が交易の交換財であり、主に住居内のこうした遺構は火災で埋没したり、床下に埋納、隠匿 し忘れられたものとした。黒曜石の採掘址も霧ケ峰地区(星糞峠黒曜石採掘址)で古くから 確認されている。
最近、明治大学で旧石器時代の大規模な鉱山址「鷹山遺跡群」の発掘調査が続行中であり、 この地方が中部・関東地方の黒曜石の一大供給地域であったことが理解されている  (小杉 康「遙かなる黒耀石の山やま」『縄文人の時代』1995, 新泉社)。

 富山県下の旧石器時代4遺跡、縄文時代4遺跡出土の黒曜石石器を分析した京都大学原子炉研究所の藁科哲男は、 旧石器段階では長野県霧ケ峰産と秋田県深浦産、縄文段階では霧ケ峰産と山形県月山産と判定している。
 (藁科「富山県下遺跡出土の黒曜石遺物の石材産地分析」大境 9, 1985)。 原典サイトへ2005/8 現在 上の地図は抹消されています。
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長門町の遺跡
★黒曜石は語る−長門町の遺跡 原典サイトhttp://www.nagato.ne.jp/youran/iseki01.htmlは閉鎖のようです
 93年に「縄文鉱山」として注目された鷹山遺跡群がある長野県長門町のサイト内にある。 5ページに渡って、鷹山遺跡群・星糞峠やその発掘について紹介している。
なお、同町の「原始・古代ロマン体験館」のページでは、石器・土器作りの体験コースの紹介や、 明神原遺跡出土の土偶の紹介などがあり、併せて見ることをお勧めする。
私はまだ行ったことのないところだが、長門町では、観光パンフレットなどにも黒曜石を利用するなど 積極的に町おこしに使っている町である。
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